大原麗子 彼女の性格と孤独との関係… 死因の病気とは?
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最終更新日:2019/01/18
星になった有名人
大原麗子さんは日本を代表する女優のおひとりです。でも頑なな性格ゆえ彼女 は孤独となり、病気も独りで戦い、そして独りで逝ってしまった。
1964年のNHKドラマでデビューしてから多くの主演作品で活躍されます。東映看板女優として、当時の日本人男性の憧れの的でした。なかでもサントリーレッドのコマーシャル「すこし愛して、なが?く愛して」のフレーズが人気に拍車をかけ、当時としては珍しくこのコマーシャルはシリーズ化します。
【若き日のエピソード】
ある日海岸で水着での写真撮影をしていた時、カメラマンの「走ってきてジャンプしてみて」との要求に答えた彼女が両手を挙げてジャンプした時に、上のビキニが上へあがってしまった。それほどスレンダーな体型だったそうです。
【男のような性格だった】
人気絶頂期には二度の結婚、そして離婚をしますが、俳優業に関しては磐石でした。ご本人も「男が二人いた」と認めたぐらい、家庭を犠牲にして俳優業に全てを傾けていたのかもしれませんね。また無二の親友である浅丘ルリ子さんにも時としてキツイ言葉を浴びせてしまうなど、彼女の周りから次第に人は離れていきました。
1975年に、ギラン・バレー症候群という多発性の根神経炎に感染してしまいます。運動神経を冒し、手足が動かなくなるという非常に恐ろしい病気です。
また彼女は乳がんにも冒されます。そして手術をし、落ち着いたところでまたギランバレー症候群が再発してしまい長期療養を余儀なくされたとのことです。(本人の思い込みとの意見もある)また2008年には自宅内で転倒し、手首を骨折する怪我を負ってしまいます。
【大原麗子さん最期の日】
そして翌年の2009年8月6日に自他を訪れた実弟によって倒れている大原麗子さんを発見しましたが、死亡が確認されました。死亡推定時刻3日前の8月3日ということです。
死因は不整脈による脳内出血と特定されました。満62歳
日本中にこのニュースが流れた時には、誰しも「まさかあの大原麗子さんが亡くなるなんて」と、ショックを隠せませんでした。また、何よりも驚かせたのが、「孤独死」でした。
華やかな芸能界で表舞台の中心に位置してこられた大原麗子さん。
なのに孤独死なんて誰が想像したでしょうか。
彼女は大勢の関係者に見送られましたが、そのなかに何人の「心の友」がいらしたのでしょうか?
頑固な性格との報道もあったので近寄りづらかった面もあったかもしれません。
ただその牙城を乗り越えてきてくれる友は居なかったのか…
まさに孤高の俳優さんでした。ご冥福をお祈りします。
■プロフィール
芸名 大原 麗子(おおはら れいこ)
本名 飯塚 麗子(いいづか れいこ)
生年月日 1946年11月13日~2009年8月3日(満62歳没)
出身地 東京都 文京区
身長 Ocm
血液型 AB型
職業 俳優(女優という言葉は本人が嫌った為)
所属事務所 東映~オフィス・アール~ワンポイント
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