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藤圭子 その生い立ちと自殺…娘の宇多田ヒカルは…

公開日: : 最終更新日:2015/06/22 星になった有名人

中年以降の方にとって藤圭子さんと聞くとあのちょっぴりハスキーな声の天才 歌手を思い出すのです。そんな彼女のあまり知られていない生い立ち~自殺、 そして愛娘 宇多田ヒカルへの想いとは…

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日本中が驚きました。自殺の一報を聞いたとき、中年以降の方はギターを持っ て唄う彼女の姿を。そして若い世代の人たちは娘:宇多田ヒカルの顔を思い浮 かべたのではないでしょうか。 【藤圭子さんの生い立ち】 もともとご両親も音楽を奏でる大道芸人で活動しており、身近に音楽がいつも あったようです。しかし旅から旅への巡業でしたから、藤圭子さんが生まれて た時の家計は苦しかったそうです。そして学業の成績が優秀だった藤圭子さん は家族のために進学をあきらめて、家庭を支える決意をします。 そんな頃、岩見沢で行われた雪祭り歌謡大会に出場したとき、その歌唱力に魅了された観客の中に偶然レコード会社の関係者がいて、彼女に声をかけます。それが芸能界 デビューするきっかけになったそうです。

【圭子の夢は夜ひらく】
デビュー曲からずっと暗い感じの演歌を歌ってきましたね。(中には怨歌と表 現する人も)この「圭子の夢は夜ひらく」は競作で以前は歌手・園まりさんが 「夢は夜ひらく」を歌っています。 また、調べてみると作詞家の石坂まさを氏が当時、こんなキャッチコピーを考 案しました。”演歌の星を背負った宿命の少女”‥ずしりとした重圧感ですね^^;

【新宿の女、女のブルース】
デビュー曲「新宿の女」がヒットを記録し、続いて出された「女のブルース」 がまたヒットをします。題名に女の文字が目立ちますね。1970年代はまだまだ 男尊女卑が色濃くのこる時代でして、”中ピ連(ちゅうぴれん)”という団体が、中絶禁止法に反対する運動を起こし、日本中にその運動が広がっていたのもこの頃ですね。

【最初の結婚】
デビューしてから2年後の1971年に、歌手の前川清さんと結ばれます。前川さんも下積み時代はあったものの、彼女と同じく1969年のデビューになります。 一般人のボクからみた感じではどちらかといえば、前川さんの方が「ケイコたん!」と夢中になっていた気がします。そして結婚生活はわずか一年で終わりを向かえます。

 

【引退⇒復帰、圭似子⇒圭子】
1979年突然の芸能界引退発表をします。しかし2年後に芸能界に復帰、名前に似の字をくわえた芸名で再活動します。そして宇多田 照實(うただ てるざね)氏と再婚。この宇多田氏の才能は豊かで、楽器はもちろん作詞やプロデュースなどマルチな才能の持ち主です。そんな才能の血を受け継いだ娘”宇多田ヒカル”が1983年に生まれます。

【自慢の娘:宇多田ヒカル】
娘のヒカルさんがデビューした当時は藤圭子さんの娘自慢はいたるところで繰り広げられたそうです。藤圭子さんは海外旅行が好きで、ラスベガスではカジノに大金を使うようになります。そこであの有名な空港でおきた「大金没収騒 動」ですね。 どうして現金で持ち出そうとしたんでしょうか?彼女の中では現金は裏切らないのでしょうか…いずれにしても藤圭子さんは今までこのような騒動の主役になる人では無かったと思うのですが‥

 

【情緒不安定】
原因は知らされていませんが、その後彼女がうつ病になって、情緒不安定になって、一人きりにはさせずに見張り役と称した人物を住まいに常駐させます。 つまり自殺防止という事なんですね。 しかし、2013年8月22日午前7時、藤圭子さんは高層マンショから自ら身を投じ た。62歳だった。 後日娘の宇多田ヒカルさんがメッセージを公表しました。 「母は長年の苦しみから開放された‥」この言葉から家庭内では相当の戦いが あったことがにじみ出ています。 敢えて詳細は書きません。ただ、宇多田ヒカルさんと歌ったデュエット曲「Golden Era(黄金期)」を聞き返すたびに残念な気持ちでいっぱいになります。

ご冥福をお祈りいたします。

■プロフィール
芸名    藤 圭子(ふじ けいこ)
本名    宇多田 純子(うただ じゅんこ)旧制・阿部
生年月日  1951年7月5日~2013年8月22日(満62歳没)
出身地   岩手県一関市~北海道 旭川
身長    155cm
血液型   A型
職業    歌手
所属事務所 ㈲ユースリー・ミュージック *:.。…。.:*:.。…。.:*:.。…。.:*:.。..。.:*:.。…。.:*:.。…。.:*:.。

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