*

岡田有希子 自殺の真相は? 遺書に残された真実とは?

公開日: : 最終更新日:2015/06/22 星になった有名人

余りにも有名で衝撃的だった岡田有希子さんの自殺。原因となった人物は特定された。しかし遺書に残された真実は何だったのでしょうか…

スポンサードリンク

30年近く経った現在も彼女の遺書は「サンミュージック本社内の金庫」の中に厳重に保管されています。
既に内容は某週刊誌で公表されたようですが、その中にはハッキリと男優峰岸徹の名前が記されていたそうです。
俳優の故・峰岸徹に対して当時のサンミュージック社長 故・相澤秀禎氏が「絶対にゆるさない」と言っていたことは有名。しかし「芸能界の良心」とまで言われた人物がここまで怒るなんて、どれほどの真実があったのでしょうか…

【岡田有希子デビュー】
1984年にアイドル歌手としてデビューします。当時、絶対王者だった松田聖子を目標に、”ポスト松田聖子”と言われていました。そんな彼女はデビュー前、母親から芸能界入りの条件として「中学校の成績で学年1位になる事」「中学統一テストで学内5位以内に入る事」「名門:向陽高校に合格する事」の2つの厳しい条件をすべてクリアーし、念願の芸能界デビューを果たしたという有名なエピソードがあります。

そんな頑張り屋の彼女がデビューしてわずか2年後に死を選びました。
最初に彼女は自宅のあるマンションで手首を切りガス自殺を図りますが、他の住民からの通報で一命を取り留めます。
しかし、その直後所属事務所7階から投身自殺しました。享年19歳でした(満18歳)

「いったい彼女に何があったのか?」

当時としては人気アイドル歌手の自殺はあまりにもインパクトが強く、芸能界はしばらくは重い空気が流れました。しかし、自殺ということで、報道には慎重さが求められました。
また彼女の後を追って自殺した少年少女は全国で20人以上にも達し、事の重要さは明らかでした。

自殺の原因は当時から様々な噂があったが、後にこの悲劇を招いた人物に峰岸徹の名前があげられた。本人は「僕はアニキのつもりだった」とこの事実を最期まで認めることはありませんでした。(峰岸徹は2008年に他界)
しかし、ひとつの過ちが結果的に20人以上の命を奪ったことは明確でした。

また、当時の雑誌にはかなりショッキングな写真がそのまま掲載されていました。本当に”そのまま”です。
投身自殺の末路はこんな形で晒されてしまうのかと、可哀想でなりませんでした。
もし自分が同じ状況で肉親がそれを見たらと考えるだけで、間違ってもこんな形で自らの命を絶つことはやめようと、誰しも思うことでしょう。

あの写真に近いものはネット上で探せば出てきます。しかし、彼女が悩み苦しみぬいた結果なんだと、その事を決して忘れないで欲しい。(スクープ写真を撮ったカメラマンは不慮の事故でまもなく死亡)

ご冥福をお祈りいたします。

■プロフィール
芸名 岡田 有希子(おかだ ゆきこ)
本名    佐藤 佳代(さとう かよ)
生年月日 1967年8月22日 – 1986年4月8日(満18歳没)
出身地   愛知県 一宮市
身長    155cm
血液型 O型
職業    歌手
所属事務所 サンミュージック
*:.。…。.:*:.。…。.:*:.。…。.:*:.。..。.:*:.。…。.:*:.。…。.:*:.。…。.:*

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  • モバイル
PAGE TOP ↑
クレジットカードの口座振替